迷子の建築学生ブログ

たとえ道に迷ってもそれでいい

自分

こんにちは。只今、絶賛昼夜逆転にてこの時間帯(08:00)に起きています。

本読んで、音楽聴いて、辞書をパラパラめくってたら数時間経ってました。

最近辞書の魅力が少し分かりました。

といっても、三浦しをんさんの『舟を編む』に影響されてのことなのですが笑 

辞書を人が丹精込めて作ったものだとみると、またその文面から感じるものが少し変わる。建築もそうです。建築は空から降ってきたものでも、自然発生したものでもない。

人が考え、感じ、つくられたひとつの作品とも言えるでしょう。

どうやら僕はそんな魂のこもったものが好きみたいです。人の感情が出てしまっているような。本来辞書はそうあるべきではないかもしれない。しかし、その情報量や言葉選びからは、製作者の魂が伝わらざるおえない。

建築学科に入ってひたすら建築の感性を養おうとした結果、思わぬ方向にも目が行くようになりました。もしかするとそれは付け焼刃で脆いかもしれません。まあそんな脆さが逆に言えば、なんにでもなるという良さといえるかも。。。言えるのか?笑

 

 

最近色々と穴を埋めるように勉強することがしばしばあります。

勉強するほど、自分の知識の穴が見つかり、その補填をしなければと感じます。

まあよく記事の話題にするように、僕は元来、頭の良い人ではありませんでした。まあ今もそうですが笑

ここでいう頭の良さは、シンプルな知識の量と機転を利かせることが出来る頭の回転の速さ。

前者に関しては、教養がかなり欠落しているのが悩みとしています。どの範囲までを教養とするかで話が変わりますが、基本的な言葉選びなどの土台が脆いなと感じます。文章を書くのは人並みにできて来ましたが、会話になるとそうはいかない。それは後者の頭の回転の良さに繋がるでしょう。

自分でもたまにいやになるほど頭の回転が悪い。要領が悪いというやつでしょうか。問題解決能力が欠けているわけではないのですが、咄嗟の解決が苦手です。それゆえ塾のバイトでは本当に苦労する。新しいことを慣れぬうちにこなすことが、どうも得意ではないです。その理由を過去まで遡って考えると、基本甘やかされて生きてきたので、行動を迫られると対応できなくなるからでしょう。全く思って一般的な事務作業と業務とするサラリーマンに向いてないと思います。それをバイトで知れたのは幸運かと思います。少し話がそれますが、少しでも克服すべくバイトは続けてます。。

 

こうなるとわりと自分が出来ることが限られてきます。変化し続ける世の中でどう適応していくか。どう生きていくべきか。最近はこんなことを考えたりしています。

唐突ですが、僕の最終的な目標は”絵を描いて生きる”です。

要は、絵を描くことを生業にして生きていきたいなと思います。画家、イラストレーター、デザイナーなどが浮かびますが、少し見方を変えれば建築家も同様でしょう。

決められた業務を何も考えずにやったり、規律に縛られて生きるのは苦手ですが、好きな何かを突き詰めてやるのは得意なのでそれを活かして生きていければ、多少生活が困窮しようとも幸せなのかと思います。

 

冒頭で述べたように、そのためにも色々勉強してますが、これがなかなかハンデを感じさせる。知りたいことが知るほど増えてきて、時間が足りないという感覚に陥る。

ゲーム三昧、動画三昧、お絵描き三昧で生きてきた僕は、知るということをあまりに蔑ろにしてきました。全く何にやってたんだとため息つきたくなることも。。。まあ過去はなかったことにはできないので仕方ありません。

 

自分がどのような人間になるか。

そんなことを少し意識している大学二年の夏休み。