迷子の建築学生ブログ

たとえ道に迷ってもそれでいい

自分の限界を振り替える

最近、事務所でこっぴどく空回りしてしまう後輩や同期らと仕事をしていて、内に秘める想いが肥大化してきている。

『人の振り見て我が振り直せ』

周りの人の言動を観察してしまう癖がある僕は自然と、人の行動を自らに投影して学ぼうとしてしまうのだ。つまり、後輩や同期が注意されているのを横に聞いて、じゃあ自分はこうしないようにしようと、冷静に客観的に分析して自分の経験として活かす。それを無意識にやっているせいか、自分はとても要領よく立ち回れている。それを自覚しながら生きているという、メタ的視点にメタ的な視点を重ねた、超メタ的視点によって自分を認識している。カッコつけた言葉によって自分を語ってしまったが、僕はそうやって絶え間なく自分や他者を分析しているようなのだ。何故、ここまでメタ的な視点を獲得するに至ったかは謎である。そして、特に最近感じる、自分のキャパシティについて。この器は僕にとってのコンプレックスだ。自分がどこまでの器なのかを知るために、過去の自分の器を理解しようと思う。なので、この事務所帰りの電車内の時間を活かして、改めて過去を振り返りながら分析をしようと思う。

 

小~中学生

当時はとにかくゲームにハマっていた。といっても高校もそうであるが。ゲームに関しては何時間も何十時間も没頭できた。受動的なシステムよりも、多少能動的なシステムによって成果を得ることぎとてつもない快感であった。特にうごくメモ帳というアプリは僕を魅力した。うごくメモ帳ではオンラインユーザーが作品を投稿できるプラットホームであり、作品を共有しあったり、コミュニケーションをとったりと、現実世界のコミュニティとは解離したその世界に密かに魅力されていた。かといって、現実世界のコミュニティを捨てなかった僕は、恵まれた環境に育ったからであろう。

そのうごくメモ帳での経験は非常に今へつながる。クリエイティブさと斬新さがウケにつながるために、必死に物語を構成したり、絵を極めたり、とにかく本気になって創作物に臨むという経験を積めた。しかしながらランキング上位に乗れたのは数回であり、それは残酷ながらも僕の限界を示している。そこそこまではいけるという反面、最上位にたどり着けない。どこか最後に引いてしまう。それは陸上で露骨に現れる。

中学生で始めた陸上競技。最初は短距離をやろうとしていた。何故陸上をやろうと思ったのか。深い理由はなかった。あるとすれば、走るのは嫌いではないこと。なんか寡黙で真剣で格好いいスポーツであること。そして長距離に入るきっかけになった、小学生におけるマラソン大会の思い出だ。これが僕の人生を大きく変えてしまうとは想像も出来なかった。

中学での陸上はとにかく惨めだった。元より精神のあまり強くない僕は長い距離を走るのはいいものの、追い込むという概念を持ち合わせていなかった。すぐ限界手前でセーブしてしまう。何故ならば辛いから。辛いことから逃げてしまう。逃げたくなくても、辛くなったらもう脳も体も追い付かない。後輩にタイムで負けに負けた。先輩の尊厳は傷つけられ、ちっぽけなプライドは生意気な後輩の態度を見る度に揺れ動いた。そう、僕はそんな後輩にいじられるようなちっぽけな人間なのだ。そういう自尊心が傷つけられる体験はこの先の人生へ影を落とす。

 

高校時代

高校受験の失敗。これはあまりにも残酷に、冷たく僕に限界を突きつけた。初めてリビングで家族の前にして泣いた。その時はもう学ランを着ることが出来なくなったことを理解したとたん、今までの楽しかった生活が崩れたように思え、感情が爆発した。為す統べなく僕は落ちて高校に入学する。それは暗黒時代の幕開けであった。

今まで僕はなんやかんや物事を人並み以上にはこなせると思い込んでいた。それを打ち砕かれた精神状態での学校生活は当然ながら楽しくない。しかも皆がそんな状態であるゆえに、特にクラスの雰囲気はあまり良くなかった。現実逃避するように明るく振る舞ってみたりする者の痛々しさ、絶望し、充実した高校生活を諦める者の惨めさ、それらを互いに理解し合えてしまうことで、僕らの距離は絶妙に縮まらなかった。仲良くもない状態でお互いのコンプレックスを知ってしまっている状況であった。

そして最も転機となった陸上時代。これを語るにはあまりに時間が少ない。結論から言うと、この高校時代の陸上こそ己の限界との戦いであり、それに敗れたという屈辱的な体験であった。僕は一生この経験に対して雪辱感を果たせないとも思えている。

陸上に僕は全てをかけた。人生をかけた。青春を捨てた。しかし、得られた成果はそれにそぐわなかった。その残酷さを突きつけられた。

陸上で必要な素質というものは絶対的にある。遺伝的な身体つきや精神状態。僕は死ぬほど努力したつもりであったが、それは空回りした。努力するフィールドを間違えたという話ではない。あの結果は明らかに僕自身の最高限度の成果ではなく、60%程度のものであったことに僕は雪辱感を抱いていた。頑張りきれなかったのだ。死ぬ気でやったはずが、どこか無意識に自分の手のひらから掴みかけていたものが滑り落ちていて、それを実は理解していた。めむりこみ切れなかった自分を理解していた。理解しながらも、僕の精神がそれに及ぼなかった。ある意味の僕の限界だった。その最大限の限界に及ばなかったという時点における限界。僕はこのコンプレックスを抱えなくてはならなくなった。それは一度頂点を目指そうとしてしまった代償である。

 

受験時代と大学1,2年時代もあるが、今回は省略する。それはあまりにも高校時代が全てを物語っていて、これ以上語る必要性がないからである。

僕の限界は僕自身あの高校時代と大して変わっていないと思う。結局最後の最後で詰めきれない自分。そしてそれを死ぬ気で変えたい自分。そのためなら人生そのものを全てかけてもいいと思える思考。

今僕はその狭間で戦っている。結局高校時代のように妥協で終わってしまうか、それともその先にいけるのか。その戦いの最中にいることに、一人恐怖しながらも感じるのは、どうしてもその先にいきたいということだけである。それを今、建築で僕は試されている。あまり健全なモチベーションではないかもしれないが、事実はそれだ。

数年後振り返ったとき、この大学生時代の限界が、改めて変わりきれないという妥協で終えているか、それとも確実に限界に挑戦出来たという確固たる自信によって終えているか。今僕はその分岐点で足を震わせながら立っているのだ。