迷子の建築学生ブログ

たとえ道に迷ってもそれでいい

最近のゲームについて語る

こんにちは。

現在、春休み真っ最中です。

 

2月ももう終わりに差し掛かり、今振り返ってみると建築ばっかやってたなと思います。

そう思う反面、緩く過ごした時もありました。

 

僕は元々かなりのゲーム好きで、ぶっ通しで何時間もゲームするタイプの人間です。YouTubeもずっと見続けるタイプです。

2/26は特にひたすらゲームでした。

 

まず建築について考えながら10km歩いた後、糸が切れたようにだらけました笑

まあ結局建築のこと考えてたわけですが、色々と迷走して途中から思考停止になってました。

 

そしていま、ドラクエ11にハマってます。

ストーリーといい画質といい、なによりも細かいところの作り込まれ具合がすごくて、世界観に引き込まれる。

あと建物とか洞窟とかよく観察します笑

これなんの様式だろうか?とか、この吹き抜けの感じいいなとか。

 

マップの形や宝箱の位置なんかにも考えさせられますね。

これ以外と学ぶこと多くて、どういうマップにすればギリギリストレスなくプレイできるかとか、この窪みには宝箱がありそうだなと近付いたら予想通りそこに宝箱があって喜ばしいとか。  

そこで行われる体験を設計しているわけです。プレイしている人はどう感じるのだろう?これを徹底的に考え、試行錯誤を繰り返したものの産物でしょう。宝箱なんかも脳の報酬系が刺激されて、楽しさと探求心を引き起こします。

 

僕らが何気なくやっているゲームってちゃんとしてるものなら、そういったことが散りばめられているんですよね。とても建築に似ている。

 

そしてゲームの流れも時代とともに変化しているけど、そのあり方の変化も建築と近いかもしれない。

恐らく昔ゲームは製作費の関係上、高い技術を要して良いグラフィックや音質などが思うように作り込めなかったでしょう。できるだけ文字数を減らしてメモリを軽くさせたり、一番こだわるとこだけ特化させたり。遊び心かるおまけ要素を追加したり。

そんな制限の中に生まれたものだったからこそちゃんとした形としてゲームが成り立っていて感動が生まれたのでしょう。

 

しかし、今のゲームのあり方は昔とは大きく違うものもあります。

PSやSwitchなどには根本的な変化は感じませんが、携帯機種のものには気持ち悪いほどの変化を感じています。

 

パズドラ、モンスト等のいわゆるソシャゲってやつです。

建築の"大量生産大量消費"の考えにとても近い。

どれもある特定アイテムにより報酬系を刺激させ、そのアイテムを現実お金によって得られるようなシステム。マーケティングの視点から見たら天才的ですよね。あり方としても世の理として頭使ってお金を絞り出す、当然です。

この部分が建築というものが、シェルターから商品に変わったという事実に近い。

ゲームは今まで、それ単品が商品でありました。しかしその本質が変化してしまった。ゲーム内のアイテムが商品となっている。これの良くないところは現実的にはそれ買わないとそのゲーム奥まで遊べないということ。これはとてもネガティブだと思います。じゃあ課金すればいいじゃんという話ではない。そのネガティブさを現金で釣り、それて報酬を得るというシステムに気持ち悪さを感じるということです。

そして問題のもうひとつとして、同じものの複製。

技術の革新により、スマホゲームはどれも似たようなゲームばかりです。とりあえず宣伝費にお金をつぎ込んでコンテキストは軽視され、ゲームシステムはさっきのような効率良いもので回収する。一概に悪いと言ってるわけではありません。技術を使うのは素晴らしいことだ。

しかし、その方向性は目先のお金しか向いておらず、そこに本当の面白さは皆無でしょう。今の住宅もそうです。同じような人工的なテクスチャの建物が並び、科学の発展をひしひしと感じられる住宅地。生活は十人十色のはずなのに、住む家はどれも同じ。少しおかしくありませんですかね。

ここ最近でスマホゲームはとてもつまらなく感じます。それは目新しさがなくなり、そのシステムの運用にうんざりしたからでしょう。同じものの複製はいずれ人に飽きられ、捨てられる。じゃあその捨てられたものは誰が責任をもって処理するのか?ごみ山に放っておくのか。

建築で起きた大量生産大量消費の考えの弊害をスマホゲームも負うかもしれません。

 

 

そんな大人の視点からしかゲームを見れなくなった20歳の大学生でした。