迷子の建築学生ブログ

たとえ道に迷ってもそれでいい

この不条理な世界で生きていく

今回は思ったことをぶちまける回です。閲覧注意。

 

 

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課題の講評会が先日行われた。

 

はっきり言って解せない。

 

優秀作に選ばれなかったのはどうでもいい。

その優秀作の皆さんの作品に対する評価と自分に対する評価の差の意図が分からない。

 

いや、内心分かっている。分かってしまっていた。だから質問に行く必要もないと感じている。

 

じゃあなぜ府に落ちていないのか。

もしも自分が考えている原因がその答えだとしたら、解せないということだ。

 

 

 

課題は立体表現(デッサン)と模型制作と2つある。

模型は少し苦手だ。というかあまり好きではない。

 

絵を描くのは好きだ。だからそれに関して他の人に負けたくはない。本気で。

しかし、今回は負けた。そんな気がする。いや、心の底から認めたのは1,2作品のみだと感じる。他の10何作品には確実に勝てる自信があった。

 

敗因は2つ。

・トレーシングペーパーを使わなかった

コピックマーカーを使わなかった

ことでないかと考えられる。

 

 

自分はトレーシングペーパーを使うのが嫌いだ。複写するのがとても嫌いだ。

元にあるものただ紙に投影するだけ。

何の価値があるのだ?そう思ってしまう。

その絵にはその人の画力が投影されていることはない。少し言い過ぎか。

画力がない人でもまあまあ描けるというなんともお手軽かつ楽な方法。何故か自分の体はそれを拒絶する。

自分に模写する力がないと認めるようなものだから。

 

しかし、その考えも建築においては大幅に改善しなくてはならないと実感させられた。

ほとんどのものがトレーシングペーパーを使いデッサンしているように思われた。まあ絵を見れば大体わかる話だ。

なんとも悔しかった。

自力で描いたものが評価されなかった。写真をトレースして色をつけただけの絵が絵としての評価を受けている。

なんだか自信が腐っていくような感覚に襲われた。

 

 

コピックマーカーは水性ペンのことを指す。

僕はこれを立体表現のときに使用しなかった。そうすると色鉛筆で表現するしかない。

色鉛筆を使うのはあまり慣れていないが、一般よりもできると自負しているつもりではあった。

しかし、この建築演習において色鉛筆は弱かった。

薄いのだ。色が。

インパクトに欠ける。

 

対してコピックは印象強く、木も簡単にそれっぽくなる。素人でも簡単に扱える。

真面目にその差しか感じられなかった。他にあるとすれば、選んだパース(デッサン)の位置が悪かった。

 

考えれば考えるほど腑に落ちない。

模型に関しては身を見張るものが多くあった気がするが、絵に関して心を揺さぶられたものは僅か。

もし以上の理由が選出されなかった理由だとしたら、僕が追い求める世界と建築デッサン演習の世界は大きく異なるものであろう。とっとと建築学科を辞めて芸術系の大学へ編学したくなるような気分にさせられる。

 

 

今回は少しだけいい体験になった。

この世界は自分の世界から見たら腐っている。自分が求めているものが他者が求めているものと必ずしも一致するわけではないのだ。というか、ほとんどが一致しない。

 

この世界で生きていく方法はいくつか存在する。

大きくわけて2つか?

・妥協してこの世界に合わせる

・自分の世界を突き通す

どちらの選択も正しそうだが得られる結果は色々な意味で大きく違うだろう。

この世界から身を引くというのも立派な選択肢か。

 

選択肢と言って、どちらか一方のみに固執してしまうのは非合理的な判断だろうか。まあどちらに決めて生きるという決断すること自体に重要性はないと改めて思う。

最終的に彼らに勝っていればどうでもよいのだ。

結果が全てだから。