迷子の建築学生ブログ

たとえ道に迷ってもそれでいい

建築を学ぶ原動力

最近嬉しいことにも僕を頼ってくれる人が多い。

その理由としては、僕は平均上くらいは建築の知識を持ってるし、誰よりも建築について考えようと生きてきたからだ。そして、いつ身に付いたかも分からない指導力と人と話す力によって信頼を得ることができた。

これ自体は僕のアイデンティティとして自信を持っているし、特に卑下する必要はないと思ってる。

 

しかし、少し周りが僕を買いかぶりし過ぎなことも感じる。嬉しいことに周りからは僕を優等生のように思ってくれる人が多く、大きな成果を出すだろうと考えてくれる。

そのことは有難い期待で嬉しさはあるのだが、僕はそこまで大そうな人間ではない。

 

よく高校は偏差値があまり高くないところで頭も悪く、あまりリーダーシップを発揮しない人だったことを話すと意外がられる。今の僕はここ数年で形成された人格が強く、根本は怠け者だ。

僕はそれ自身は理解してるし、受け入れている。

かといって、周りに対して不満を言ってるわけではない。

 

そこで考えたのは、今の自分の原動力がいかにして生み出されているかだ。

 

ここ数年での成長は本当に急激すぎて僕がついていけてないのだが、その結果にたどり着いた要因を洗い出したいと考えた。それがさらに深く理解できれば、周りの声に対してしっかりした自分の意見を確立できるので、変に心を揺さぶられることがないだろう。その対策としても考えたい。

 

 

何時間か歩きながら考えた。

 

その結果まず出たのは、ネガティブな要素からの原動力だ。

 

僕は高校からというか子供の頃から好きなことしかやらない、いわば落ちこぼれで、スポーツも平均レベルで絵を描くことだけ傑出してた。中学まではそれで良かったが、高校からは受験という壁で乗り越えることが出来なかった。そして、高校でも学力は落ち、陸上競技ではある程度まで成長して精神面が大きく開花したがまずまず止まり。今でもあの時の辛さや苦しみが脳裏に焼き付いている。そして、大学受験での失敗。

平凡な人生で満足出来なかった僕はあえて辛い道を選択していき、その辛さに心は折れる一方であった。平凡な生き方が満足出来なかった理由は、好きなことを優先したいゆえにプライドは高く夢想家であったからだ。

 

多くの失敗や挫折が恐ろしく僕を悲観主義にさせてしまったこともあった。失敗したらどうしようだとか、これは無理だなとか。そんな荒波に飲まれ続けた人生が僕を形成する。

 

やはり原動力はそこだと思う。

数々のトラウマと失敗体験、そして辛かった日々によって、相対的に今の生活は楽で楽しさに溢れている。好きなことをやれている。それが恐ろしく幸せであり生き甲斐と感じていた。

多くの人は恐らく平凡に人生を歩むために、僕ほどの絶望を味あわずに生きるだろう。まずそこの経験値が他の人と全く違う。よく海外旅行で無一文になってなんとか生き延びれたことが自分を形作ったという人がいるが、まさにそれである。現実離れだったり、生死をさ迷うと感じる経験をした人間は強く、それがとても強いバックグラウンドとなる。

 

それを僕は閉鎖的な陸上競技という場と、全員が一直線で並ぶ大学受験で経験した。

その経験は僕の人生を変えるには容易で、僕の知識を置き去りにしてしまった。

その経験は、自分という人間について考えたり、相手の気持ちを考えたり、物事の本質について深く考えたり、異常なまでに探求する力などに昇華されていった。考える知能ばかりが発達して知識が追い付いてない。それが高3、そして今である。

僕は絶対値的な常識というのがあまり知らないのである。例えば、物の名前であったり、中学生でも知ってるような有名な人とか。それは他の人が勉強の中でそのような知識を会得しているなか、僕は全く興味を示さなかったからである。そう、建築学科は進学校上がりの頭の良い連中が多いのだ。

考える能力だけ傑出した結果、見た目上は頭良さそうだけど知識がない人間の出来上がりである。

 

今ではある程度知識も付いてきて、さらに見た目上良さそうな人間に見えているだろうが、まだまだ知識不足なところが多い。

 

このような感じで、自分の足りないところを何とか発見して猛烈に悩むタイプである。結果として成果は付いてくるという方程式だ。

周りから見たら、何でもこなせる建築の化け物みたいなのだろう。しかし、本当は全く違う。

死ぬほど悩み、苦しみ、血反吐を吐き、地ベタを這いずり回り、そんなまでして生きているということだ。

そんな生き方苦しくないのか?という声が聞こえてきそうだが、これが僕の生き方なのだ。これが僕の性格なのだ。とても充実している。

 

そして最近、僕の最終目標は建築家になることではないのを理解した。

 

建築を学び、建築と共に生きていてく。

 

それは建築家でなくてもいい。

人生における大きな柱が僕は建築だった。それだけの話だ。

これはずっと考えていたことだったが、この解答は僕にとてもしっくりくる。

 

生きるということを結びつけることが僕にとって重要なのだということ。