迷子の建築学生ブログ

たとえ道に迷ってもそれでいい

成人式に行かなかった

最近Twitterを始めました。

いつか公開するかもしれません。まあ基本は建築のことで、思ったことをつらつら書いていくだけなのですが、ブログよりハードルが低くてアウトプットの場として有効ですね。

こっちのブログもそんくらい気楽にやっていきたいと思います。

 

 

 

今回は最近について。

ここ数日、設計に追われ追われ睡眠時間を削ったり遊びの時間も削ったりしてました。

なんなら成人式も行きませんでした。

周りからは信じられないみたいに言われましたが、僕はこれっぽっちも悲しくありません。

別に中学の友達が嫌いなわけではありません。むしろ楽しい思い出ばかり。

行ってたら普通に楽しかったでしょう。久々の友達に出会えたり、周りの変化に驚いたり。

 

じゃあなんで行かなかったか。

答えはシンプルに、それ以上にやりたいことがあったから。

 

僕にとって今一番大事で楽しいのは建築です。

確かに成人式は人生に一度だし、晴れ舞台でもある。しかし、建築のこの課題だって人生に一度だと思う。

シンプルに楽しみたい。やりたいことを優先した結果、行かなかった。

だからこの選択に一切の後悔はない。

 

今回において、自分がどれだけ建築を重視しているかを再認識できた。これは大きな収穫だと思う。

 

ますます建築を楽しみたいと思う。

深夜感じたこと

1/2の2時過ぎ。

走る格好に着替えて、外に出る。

 

冷たい外気が肌を刺す。

 

数日ぶりに走ったが、右膝の上部に違和感を感じる。

ずっと寝ていたのと、急激に筋肉冷えたせいで筋繊維が硬直している。

 

走り出すが、膝の怪我が怖いため早歩き程度の速さに留めておく。

久々にスマホの画面から離れ、頭の中で思考する。

 

おれは何がしたいんだろう?

 

昔からの問いだ。

そもそもこれだけ必死に建築をやろうとしていたのは何故だろうか。その建築も今日は一切やらなかった。

ひたすら惰眠を貪る日。

僕はそんな日がたまにある。そして感じる自己嫌悪。

しかしその日は無意味ではない。

本当にやる気も気力も全て失ったときこそ、自分の本質が見えてくるからだ。

 

僕は有名な建築家になろうとし過ぎていた。

何か大きなものを追いかけていて、その壁の大きさゆえに壁の前でうずくまったいた。

自分がやらなくてはいけない

そんな重圧に自分自身が押し潰されていた。

建築を見るたびに、こんなものが自分には造れるのか?という不安を感じることさえもあった。

 

しかし、有名な建築家になることは本質ではない。

あくまで副産物的なものだろうし、僕が見ている世界はあまりにも狭い気がする。

 

自分が真にやりたいこと。

正直、コロコロ変わる。

しかし、それをひとつひとつ追い求めていけばいいのではないだろうか?

その遠回りゆえに、周りと遅れをとったり、離れていくかもしれない。だが、それはそれで面白い気もする。

 

 

 

2019を振り返って

こんにちは。ろすとまんです。

買ったばかりのPCの液晶割ってしまいました。強く生きていきます。

 

 

そんなこんなで今日は12/31。大晦日

せっかくなので一年を振り返ってみます。

 

 

~春、大学入学まで

大学受験が終了。

とにかく僕の人生の中でも大きなターニングポイントのひとつだった。

現役の時に受験失敗しまくってて良かったと心から思う。まあとてつもないストレスを抱えた時期もあったが。

試験当日は過度に緊張することなく、いつも通りやって普通に受かった。まあ落ちた大学もいくつかあったが。

これで晴れて大学生。そんな実感もできぬまま4月までは勉強しながら過ごしていた。

今思えばあの時勉強していたのはよい選択肢だった。友達が少ないというのが幸運にも良い方向へ働いたのだった。受験が終わったにも関わらず数学と物理、そしてデッサンの練習をした一ヶ月。大学のスタートダッシュを上手くきれた。これが今の僕をつくる要因のひとつだったように感じられる。

 

 

大学入学後~

満を期して入学。ここで幸運にも友達には恵まれた。しかし当時の僕からしたら挫折でもあった。

「大学=勉学に励む場」と定義付けていた僕からしたら、周りの雰囲気に違和感を感じることがあった。この葛藤具合は是非過去記事を見ていただきたい。

特に大学内の建築サークルには嫌気がさした。

そして僕は挫折した。

「大学はこんなレベルなのか…思っていたのと違う…」まだ世の中を知らない未熟な僕は本気でこう思い込んでいた。

そして自分の大学で勉強することを諦め、インカレサークルで他の大学の人が集まる場へ行こうと決めた。今思えばあの時の行動力はそれまでの僕になかったもので成長していたことが感じられる。

そしてそのインカレサークルで刺激を受けつつ、大学生活を過ごしていく。

 

~夏休み前

大学生活にも慣れてきた時期。

恐ろしいほど周りとは馴染んでいった。

そして当初の建築で上を目指す目標は薄れていく。だが定期的にあるインカレサークルによって度々モチベーションが戻る。そんな日々を繰り返していた気がする。

しかし大きな変化がその時から感じられていた。それは人との関わりだ。

これに関しては前回記事で散々話したので省略するが、気づかぬ間に僕は予期せぬ方向へ成長していた。

 

夏休み

陸上と建築。これ以外何していたかあまり覚えていない。深夜までひたすら友達と通話したり、建築見に行ってたり。夏休み前期の記憶は微かだ。基本家にいたのだろうか。

しかし大きなターニングポイントが後期にくる。

千葉県での施工だ。これも過去記事を参照してほしい。

この記憶が強烈に残っている。初めて建築家、そして院生と真面目に話した。話したというかひたすら話を聞いていただけだが。それくらい圧倒され続けた。

ここで大きく自分のなかで心境の変化を感じた。

建築はひとりじゃできない。色々な人との関わりの中で造り上げられるものであると。

 

 

大学後期~

夏休みで得たものを持ち帰り、夏休み明けの授業を迎えた。圧倒的な体験をした僕は自分で言うのもなんだが強かった。知識はまだ足りていなかったが、建築そのものの真理を微かに見れたような、隙間から溢れる小さい光を見れたような気分だった。

そして長い休みから明けた僕はまた授業の続く日々に慣れていく。それは周りも同様だ。

しかし、そんな日々のなか新たな苦悩が生まれる。

それは人間関係における苦悩だ。

周りは僕ほど建築ガチとは言えない。そのギャップから生じる僕のストレスが加速していったのだった。

周りの人間の価値観が理解できなかった。建築学科であるゆえには建築の勉強をするのが普通ではないのか。その疑念は苛立ちに変わっていった。

そのストレスを克服するために僕は色々な人と交流を求めた。そうすることで、小さいコミュニティに縛られる必要がなくなり、不必要に感じたら切れば良いからだ。

最初はそのつもりだったが、色々な場にコミュニティをもつことで、元いたコミュニティでの活動も潤滑に行われるようになったのだ。自分の心にゆとりが生まれたからであろうと今思う。

 

~年末

そして秋学期のコンペ出場。まあサークルでの参加ゆえに20人近くいたのだが。これもいい経験であった。

僕は最初本気でやるつもりはなかった。ただ交流の輪を広げるために参加するつもりだった。理由は大学内のサークルに希望はもっておらず、学べることは特にないと思っていたからだ。

しかし学べることは大いにあった。

チームで動くにはどのように指示したり、自分が動かなければならないのか。これを学べた。

新しく建築の知識というよりも、そういった人間との関わりについて学べるいい機会だったと思う。

まあそんな考えであのコンペに参加したというのはなかなか一年生離れした考えであると我ながら思う。

 

そして今は自由設計に取り組んでいる。

色々葛藤はあるがいい経験になりそうだ。

 

 

今回はこれで終わります。

良いお年を。

 

最近引っかかっていた事が分かってきた話(超重要)

こんにちは。ろすとまんです。

 

最近、あることが引っかかっていました。

あること。

それが分からないことに引っかかっていました。

 

何か漠然と心に詰まりを感じるときがよくありました。

その正体は何なのだろう…?

 

 

 

まさか、…?

 

 

 

正体は自分自身の意見を持ってないことでした。

(残念ながら恋ではありませんでした...)

 

きっかけはwebで読んだ落合陽一さんの記事でした。

www.moneypost.jp

 

”意識だけ高い系”について

『その人が自分で考えたものが何ひとつありません。いろいろな知識を広く浅く持っているだけで、専門性も独自性も何もない。これでは、ただの「歩く事例集」です。』

(上記リンクからの引用)

 

まじでこれだ、と思いましたね。

 

前回の記事でも話した通り、最近尊敬されることが多かったりします。

その理由としては、僕が他の人より少し建築の知識が多いことでしょう。知識の差があるのはインカレサークルや建築雑誌を日々漁ってる僕としては当然だと思ってます。

ここまで自分を上げることばっか言ってますが(笑)、いくら尊敬されても何かひっかりを感じていました。

心の底から知識の差で他の人を見下したりしませんでしたし、知識があるから偉いなんても思えません。

逆に褒められると「自分はまだまだで、褒められるようなレベルではない」と思ってします(というか言っちゃう)。

なぜ賞賛の声を貰うとこんな気持ちになるんだろう…?

 

そんな悶々とした日々を送る中で先ほどの記事に会いました。

以前一度読んだときは何も思わず、読み流すだけでした。

しかし今日読んだとき、これだ!と思いました。

 

自分はあくまで多く知識を持っているだけ。その知識は自分のものですが、自分が考えて生み出したものではありません。

それをちょっと編集して他の人に提供しているだけ。

だから褒められても心の底からの喜びがなかったのかもしれません。

だって知識なんか得ようと思えば簡単に得られますからね。

それゆえ漠然とした不安もありました。

「今は皆より建築の知識は上だが、簡単に抜かれるのではないか?」と。

自分がやってのけたように知識は少しの時間で一気に習得可能なので、余裕ぶっこいていたらすぐ抜かれてしまいます。

 

これからの時代、これからの自分に必要なもの。

それは自分の考え、専門性をもつこと、のような気がしてきています。

 

今まではとにかく知識をインプットすることだけを考えてきました。

しかしこれからは、その知識をもとに何を思い、何を考えるかを構築していきたいと考えてます。

簡単なことではないですが、少しづつやっていきたいです。

 

まあこれに気づくのに時間はかけてしまいました。

新しく切り開いた道に向かって頑張ります!

 

 

大学生になって人との関わりが増えた話

こんにちは。ろすとまんです。

最近は一人考え事する時間をあまり設けなかったせいか、ブログを書くことがありませんでした。

自分の場合、一人の時間とブログの更新度に相関関係があるみたいです。

 

 

 

 

今回のテーマは"人との関わりが増えたこと"について。

 

大学生になり、ほんとに色々な人と話したり、出かけることが増えました。それ以前の僕は外に出ることなく、一人の時間を楽しんでいることのほうが多かったです。

 

だいぶ前に話した気がしますが、中学生くらいまでの頃は誰とでも話す人間でした。

まあかといってクラスの中心人物というわけではありませんでしたが、そういった人から少し無口な子まで様々な人絡んでました。

その時は付き合う人を選ぶような偏見がなかったからでしょう。

それがわりと変わりつつあったのが中学二年生あたり。学校というものは残酷でどうしてもヒエラルキーがあります。それに気付いてしまった時期がありました。ですが、中学三年生は友達に恵まれ、クラスの誰とでも話すように。

 

しかし高校に入って大きく変わりました。

 

望む高校に入れなかったり、失恋したりで人との関わりご消極的になってしまいました。また、陸上でかなり病んだりして一人で悩み続ける日々が流れていきました。

そして同じ高校の一部の生徒を見下すようになり、それから脱却するようにレベルの高い大学を志望しました。しかし、結果は壊滅。見下していたはずの人間に遅れをとったような気分になり、自己嫌悪に浸りました。

 

そして、浪人という暗黒時代に。

 

できた友達は一人。しかし、その一人も半年で喋らなくなりました。

一年の多くを一人で過ごしました。

本気で一人で生きていけると思うくらい。

いずれ、人との関わり方も少しずつ忘れていきました。

 

その突き詰めた一年のおかげで行きたかった大学は晴れて合格。

そこから徐々に感情が戻っていきます。

大きな要因は友達のおかげでした。

 

誰とでもフランクに話すその友達に引きずられ、僕も色々な人と話すようになっていきました。

そして大きなターニングポイントは、ある大学院生との出会い。人との関わりの大切さの話を聞いて、僕に秘めていた昔の感情が戻っていきました。

色々な人と関わる楽しさと難しさ。

 

今になっては初対面でも全然話せるくらいにはなってます。周りもわりかし僕のことを理解してくたり、尊敬してくれたりで嬉しいです(まあ僕はそんなたいそうな人間ではないのですが)。

 

なんでここまで人と喋れたり、人のことを理解できのだろう?

最近こんなことを考えてます。

いま、ひとつの結論に至ってます。

誰よりも挫折し、誰よりも自分を嫌いになったからではないかと。

 

だから人のことは放っておけなかったりします。

自分が過去に独りでめちゃめちゃ苦しんだから。

まあ人によってはお節介もいいとこですが笑

 

だからその人と人を繋ぐことができる建物についての勉強は楽しかったりします。

まあそういう建物を建てたいかどうかまでは考えてませんが。

(なんなら、独りだけの空間の設計をしてたり)

 

まあ自己啓発チックに「人として成長していきたい」みたいな臭いことは恥ずかしいので言いたくありませんが、まあ気の赴くままに生きていきたいと思ったりしてます。

 

 

以上です。ありがとうございました。

空っぽなこころを満たしてくれるものを探す



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最近、時折心が空っぽになるときがある。

 

その精神状態は浪人期を彷彿とさせる。

 

孤独

 

虚無

 

 

 

 

もうすぐ20歳を迎える。

 

自分がここまで生きてきた道を振り返る。

 

全く平らでない道をここまで歩いてきた。

足を引きずりながら歩いてきた。

ここまで来た。

 

 

 

 

自分の顔を初めてまじまじと見るようになった。

今までは少し避けていたけれど。

 

自分の目は黒く透き通ってなかった。

 

ずっとずっと深く暗いような。

淵へ沈んでいく。

 

 

 

建築を学べば学ぶほど、何かを失っているような気がする。

 

それは周りとの熱意の差からくるものだろうか?

 

人と話すことは何倍にも増えた。

 

満ちては引き、引いては満ちる。

波のように。

 

 

 

僕は僕が望む姿には程遠くなれなかった。

 

これは僕の期待した未来じゃない気がする。

 

そんなことばかり思った時期もあった。

 

ここまでやってるのに何故結果が出ない

 

誰よりも悩み苦しんでるのに

 

疲れてしまったこともあった。

理想と現実の差はいつもスルドク自分に突き刺さる。

 

 

 

今一度、決意する時が来た。

 

自分の本当にやりたいことへの。

 

期待は満ち、視界は霞み、その遠く遠くを見つめる。

 

失ったものをゆっくりと拾い上げていく。

 

時間をかけて。

 

これを見た未来の自分はこの決意を忘れていないように。

 

もう一度立ち上がるように。

 

一度だけ変わるんだ。

 

秒速と東京マグニチュードで心えぐられた話

こんにちは。ろすとまんです。

 

ようやく課題やテストが落ち着き、予定も空いてきて久々にゆったりできてます。

この堕落感。中高生時代を思い出しましたね(死んだように動画とゲームにハマるという)。

 

とりわけ今日12/6(金)は授業が休校になったおかげで、3連休となりました。

そしてその有り余った時間を何か有効に活用できないかということで、午前は設計の敷地調査へ。そして午後ひたすら動画を漁ってます。

 

 

そして今回紹介するのは、秒速5センチメートル東京マグニチュード8.0です!

まあだらだら思ったことを書いていくだけなので、特別な考察には期待しないでください(笑)

 また以下の内容はネタバレを多く含みます。まだ見てないよって方はお気を付けください。

 

 

 

秒速5センチメートル

 

 新海誠さんの作品のひとつ。それを知る以前に印象的な題名から聞いたことはあったのですが、ゲーム一筋の僕は多少の興味では本も映画も観ることはありませんでした。

完全に初見で、前情報も一切無し。

そんな状況で見れたのはかなり幸せでしたね。

 

 一番の評価ポイントはやはり映像の綺麗さですね。

物語の哀愁さと映像がマッチしていて、内容に入り込みやすかったり、どこか昔の懐かしさを感じました。

そして内容も抜群に良かったです。内容というよりも、表現の仕方というほうが適切なのかもしれません。

主人公の細かく語られる心情。それと重なる映像美。

よく小説→映画であるのが、主人公の心情が上手く表現できていなくて不満に感じるパターン。劇場作品出身のためこの齟齬がなくて良くまとめられてました。

 

内容の部分にもっと触れると、主人公の遠い存在を追いかけている情景が、主人公を好きな女の子を用いて表現されています。その中でも主人公の回想で初恋の女の子が何度も登場し、次第にそれは恋というよりも遥か大きく届かない存在となってしまう。まるで宇宙のように。それがとてつもなく儚いのです。

その後、成長し大人になっていく主人公。どこか煮え切れない日々を送り最後には廃れてしまう。初恋の人が忘れられないだけではない何かがあるのではないかと思います。遠く大きな存在。それに近づきたいという気持ちがあるけれども、触れたら壊れてしまうのではないかという気持ち。どこか空虚な日々。

 

…なんか話が飛躍しすぎたのでこの辺にしときます(黒歴史確定ですわ...)。

 

まあともかくそんな考察で頭がフル回転したのち、闇落ちしたくなるような作品でした(誉め言葉)。

 

 

 

 

東京マグニチュード8.0

 

この作品はかなり思い出深い作品でして、小中学生のとき家族に貰って初めてちゃんと読んだ小説でした。ちゃんと読書感想文まで書いたのを覚えてます(笑)

そんな昔話はおいといて、この作品は首都圏直下型大地震をモチーフにした物語です。

中学生の姉、未来が小学生の弟、悠貴に付き合わされ、お台場のロボット展へ行った。帰り際、大地震が東京を襲う。道中でバイク便ライダーの真理と出会いともに離れ離れになった家族に会いに行く。

 

姉の未来が反抗期真っ盛りなわけで、家族と一緒にいるときもどこかギクシャクしていました。僕が当時読んだときは反抗期の意味も分かんなかったので共感できてませんでしたが、今ならばよく分かります(笑)

地震後、余震で何度も悠貴と離れそうになり、未来は次第に家族の大切さに気づいていきます。また、同学年のロボット好きの男の子に出会い、そのまっすぐさに日々を何となく過ごしていた彼女に少しずつ心情変化が訪れます。

その変化が回を追うごとに見れるのが良かったです。

 

また、道中で会った真理。彼女は娘と母と離ればれになってしまったのですが、途中真理の心情が細かに描写されていました。まじアニメでもここまで伝わるのグッド。

(12/7  東京マグニチュード8.0は小説出身だと思ってましたが、アニメ出身でした。勘違いしてます)

 

かなりのネタバレになってしまうのですが、、

やっぱ一番辛いのは、、

 

 

 

悠貴の死ですよね。

 

帰りの途中、悠貴は倒れて病院に運ばれます。検査中、時間は一瞬で冷酷に過ぎていきます。そして未来はある夢を見ます。

手術室から出てきた医者が真理に状況を伝えます。そして崩れこむ真理。

未来の視線の先には停止した心電図。そして白く冷たい悠貴。死亡届。

目が覚めると悠貴は平然と友達と遊んでいました。

そして物語は進みます。しかし、次第に気づき始めるのです。いや、未来は最初から知っていました。ですが、信じたくなかった。

 

悠貴は既に死んでいることに。

そう、あれは夢ではなかったのです。

 

 

まじで辛かったですね。うん。

真理が家族と合流する前、真理は家族の遺体を目の前にしました。実は誤りで本当は生きていたのですが。そんな淡い期待はありました。実は悠貴は生きているのではと。

最近、親戚や家族が災害で亡くなる夢を見るのですが、まあほんと刺さりますね。

 

でも悠貴が真理の家族をもっと探そうよと言ったり、友達を助けるために移動したりしたりと、本当に未来をそうやって導いてくれたのかもしれない。そういった考察の余地残してくれてるのは本当にいいですね。

 

いやーほんと泣きですね。

 

 

 

こんな感じで感想を終えようと思います。

休日はこうやって、映画やアニメ、小説でひとりの世界に浸るのもいいですね。

あと、パソコンで見れば2~3倍速にできるので二倍体験が出来ます。まあ倍速するのは賛否両論ありますが、経験重視なら倍速のほうが効率いいのでやってます。

 

また何かいい映画やアニメ観たら感想を書いていくつもりです。

 

以上です。ありがとうございました。