迷子の建築学生ブログ

たとえ道に迷ってもそれでいい

迷子

激動の一年が過ぎた。

 

卒業製作を終え、盲目的に建築や一つのそれに耽るということが少なくなった。

時間に余裕が生まれ、思考の幅が広がる。

周りも卒制時期の殺伐とした雰囲気から解放され、なんだかいつも以上に和やかなように感じる。

 

そして春休みも間もなく終わり、新学期の始まりを迎える。

 

 

この前、先輩や同期と飲み会に行った。

好きな女優の話になって答えられない自分に情けなくなった。変なプライドなのだろうか。単純に考えたこともなかっただろうか。

映画をそんな見方をしたことは今までしてこなかったし、本当に誰の顔も浮かばなかったのだ。

そんなことを考えることに意味はないと思ってしまった。僕の悪い癖だ。

すぐ自分とは関係ないことを、時間の無駄と見切りをつけて距離を置く。そういう自分が嫌ではあるが、「本当に意味ない無駄な時間である可能性があるのでは」という考えに結局は至ってしまう。

 

何とも言語化してみると、単眼的で自閉的な考えだ。結局何が意味ある時間なのかを問われても上手く答える気はしない。

ただ、この時間ではないことは確かだ。なんて捨て台詞を吐いて店を出てしまおうか。

 

 

この春休みの間に読みたかった小説を幾分か読破した。『地底旅行』や『タイムマシン』などのSF小説や『ユダの窓』や『黄色い部屋の謎』などの推理小説を読んだ。「小説 古典 金字塔」なんて当たり障りのないワードを打って出てくるサイトの上位に名を連ねるものはほぼ読んだ。

 

かなり硬派な内容のばかり読んでいたため、ライトな小説が読みたくなり、BOOKOFFで適当に読みやすそうなものを直感で買うことにした。

 

買ったのが、『ナミヤ雑貨店の奇蹟』『虐殺器官』『陽だまりの彼女』だ。

 

『ナミヤ雑貨店の奇蹟』はサックリ読める当時の僕の理想的な小説であった。過去と未来を横断する手紙が繋ぐ心温まる物語といったところ。

 

問題は『陽だまりの彼女』だ。僕が今これを書いているきっかけはこの本だ。色々なことの重なりが溢れてしまった。この本はきっかけに過ぎなかった。

 

 

このブログで言語化しきるのも避けたいような感情だ。実のところまだ途中までしか読めてないのだが、この手の純愛物語はとても避けたかった。嫌いというわけではない気がする。どちらかというとずっと避けていたこと、見ないようにしていたことだ。

たぶん、僕にとってとてもセンシティブな問題なのだろう。

 

 

世の中の物語はいつも愛とか恋を歌っている。

小説を読み進めていくと、結局は愛の物語であったり、音楽は大体恋愛について歌うものだったりする。それらを薄っぺらいと一蹴するのは容易だ。しかし、自己投影させてきた小説で直面してしまったとき、考えざるを得なくなってしまった。

 

「今の俺には関係ない」と強がったところで、結局は孤独に怯えている自分に気づいてしまうのだ。自分の悪い癖で自分自身がダメージを負っている。

 

 

 

最近はこんなで、無気力な日々を送っている。

終いには、「あの時得たものも無意味だったのでは」と卒制の思い出にも陰りが生まれる。

 

結局僕は孤独に恐れているのだろうか。自問自答を続けていると、何だか元の命題に疑いを持つことを忘れていく。

 

逃げ場がないという感情だ。共感も安心もない。ただ、ぽつんとあるだけ。自分の社会的立場と心理的状況が。

 

 

僕はこの数ヶ月の間で、僕と他者を相対化し過ぎた。

自身の価値軸を失っている。

そうして自分の居場所が無くなったように感じている。

 

好きなアーティストの歌詞がとても疎ましく思う。自分でない誰かが、今までの自分に意味を貰ったとするならば、今の僕は一体何であるんだ?!

 

生きる半分が誰かからの借り物だとしたら、僕は今何をもってして生きているのか。半分死んでいるのか。それがないことで。

 

どうしようもなく、嫌になってきた。

自暴自棄だ。

何が嫌なのかは言語化出来る気がするが、仕切ってしまうと何か崩壊してしまうような気もする。たぶん、価値観が変わってしまう。それは少し怖いのだ。

 

この駄文を書くことでしか今の自分を客観的に見れない。

 

2月上半期に観たアニメの振り返り

最近、持てる時間の全てをアニメに費やしている。

理由は、何かを突き詰めたいから。生半可なアニメ好きではありたくない。どうせやるなら、とことんやりつくしたいのだ。

 

そんな決意から一週間程。その間に観たアニメの数は10を越えた。しかし、ある問題が生じた。それは色々な物語へ浸りすぎて、情報過多になってしまっていることだ。恋愛、SF、サスペンス、様々なジャンルが僕の頭の中で混在し、そして僕はアニメの海に溺れてしまった。

そのため、ここらで一旦得た物語を全て吐き出そうと思う。好きなアニメをオタク友達と語り合うように、骨の髄まで自分の考えを吐露してみる。

 

それに付随し、定性的な評価も下す。物語の構成、構図(見せ方)、完成度、面白さの3つの観点を、個人的感性で5段階で評価する。

以下ネタバレ注意。

 

1.がっこうぐらし

構成★★★★

構図★★★★

完成度★★★★

面白さ★★★★

 

ゾンビホラー学園物という複合ジャンルに分類されるであろう本アニメ。1話にて衝撃的展開から物語が進む。現実逃避から普通の学園生活に目を背け続ける主人公とその周りの友達の描写がとても痛々しく、見ていて辛くなる。ゾンビ物における、仲間がゾンビ化するという状況での苦しい選択、物語が進むにつれて回収される伏線、そして飽きさせないサスペンスな展開。

勿論いくらか設定の欠点や回収しきれない伏線等は見受けられるが、1クールでやりきった作品として十分に評価できる。丁寧さより展開を重視する僕としては、がっこうぐらしへの個人的評価は高め。

 

2.ゆゆ式

構成★★★

構図★★★★

完成度★★★★★

面白さ★★★

 

なんてことない会話。それらが通りすぎていく時間はとても安心できる。

ゆゆ式は日常系アニメであるが、中でもシリアスな展開やストレス要因となる出来事は一切ない。ゆるーい世界観は疲弊した僕らに活力を与えてくれる。そんなアニメであった。

無理なSFチックな展開などがないが、一気に見きれる程見やすい。キャラも全員魅力的で変に嫌な奴は登場しない。これらの点から、日常系のアニメとして非常に完成度が高いと感じる。日常系アニメにどぎつい展開は要らない。

 

 

3.WORKING!!

構成★★★

構図★★

完成度★★★

面白さ★★

 

主人公小鳥遊のアルバイト先のファミレスでの物語。それぞれのキャラクターがとても立っており、キャラ同士のわちゃわちゃ感は見ていて楽しい。

残念な点として、良くも悪くも展開がありがちなところだ。恋愛に鈍感な主人公と、ツンデレのヒロイン。敷かれた定石通りに事は進んでいく。このアニメにそんな展開を求める方が酷な話ではあるが、その辺りの展開が中途半端に感じた。

恋愛系でがっつりやるならそれをもっと軸において欲しいし、最小限に抑えるならば匂わせ程度にしておけばいいと感じるのだ。

 

 

4.呪術廻戦

構成★

構図★★★★★

完成度★★★★

面白さ★★

 

このアニメはとにかくアニメーションとキャラクターが格好いい。そういうアニメだ。

設定は呪術という呪いをテーマとし、主人公が最強格の敵と体を分かつというもの。序盤から主人公が最強だったり、それからも苦行多難を乗り越えメキメキと強くなっていく様は王道で爽快である。この手の王道アニメに設定をごちゃごちゃ言うのも野暮なのでこれ以上の言及は慎む。

このアニメの良さとしてアニメーション(加え作画)を挙げたが、本当に素晴らしい。五条悟の領域展開のアニメーションは非常に良かった。

脳はからっぽにして、童心に帰って見よう。

 

 

5.らき☆すた

構成★★★

構図★★★★

完成度★★★★

面白さ★★★★

 

もってけセーラー服はニコニコ時代を過ごした僕からすると、非常に懐かしい。らきすたの存在は知っていたものの、オタク臭の強いアニメという印象があり、ずっと敬遠していた。意を決して大学生になった今、視聴する。

とてもメタな日常系アニメだ。主人公の泉こなたが生粋のオタクであり、オタクには伝わる絶妙な発言が刺さる。そして柊かがみの生粋のツンデレキャラもとても良い。このアニメからは好きな人は好きに、勝手にやるという意思を感じる。

らきすたはオタク讃歌である。

 

 

6.コードギアス反逆のルルーシュ(1,2期)

構成★★★★★

構図★★★★★

完成度★★★★★

面白さ★★★★★

 

このアニメは本当に全てが満点だ。日常回から戦闘回まで無駄がない。戦闘もただの戦力ごり押しだけでなく、知的な戦略の戦いでありとても見ごたえがある。また逆に知的な戦略が戦術によって突破される強引さもリアリティがあって良い。

何より良いのは物語の展開だ。主人公ルルーシュの正義とライバル(旧友)スザクの正義、そしてどのキャラクターにも己の正義があり、それらが互いにぶつかる。そこに真の人間性が現れる。どんな高明な思想をかざしているものも、突き詰めると自分の私利私欲からの思想であり、そこに衝突した時こそ人は悩み苦しむ。ルルーシュはそんな己の正義と葛藤しながら、引き返すことができなくなり、パンドラの箱を開けていくのだ。スザクは当初は正義感溢れる好青年のような描かれであったが、徐々に自分の進む道と思想との葛藤に苦しむ。そんなジレンマに苦しむ者同士の戦いにて1期は終える。そして2期へ続く訳であるが、最後の結末はこのアニメを圧倒的とする展開であった。

まさにドストエフスキーの『罪と罰』のように、人間の本質に迫る物語だ。

コードギアスは今まで観た中で、最も完成度の高い作品だ。

 

7.みなみけ

構成★★★

構図★★★★

完成度★★★

面白さ★★★

 

元祖(?)日常系アニメ。

南家三姉妹の日常を描くアニメだ。しっかりものの高校生の長女と究極的バカな中学生の次女、そして毒舌家の小学生の三女によって物語が進む。

おバカ日常系に振り切った本作品は観ていて安心した。濃い登場人物達の生活は見ていて飽きることはなかった。

リアルな表情のカットインは、シャフトを彷彿とさせるが、この技法の元はどこからなのだろうか。

みなみけは元祖たりうる風格の日常系アニメであった。

 

 

8.Angel Beats!

構成★★★★★

構図★★★★

完成度★★★

面白さ★★★★★

 

好きなアニメベスト5には食い込む作品であった。1クールで終わるスピード感でここまでの満足度は想定外である。

死ぬ際に後悔し、死んだものが集まる学園。そして主人公は記憶を失くし、何故自分が死に、何を理由にやりきれないのかも分からない。まずこの設定が面白い。主人公の死の理由や他のキャラの生い立ち、様々な想像が膨らむ。特に良かったのはその主人公音無の最期のストーリーと天使と呼ばれる立華とのストーリーだ。その展開とてつもなく感動した。

問題点として、回収されていない伏線や矛盾点がいくつかある。しかし、それらを凌駕する見せ場での魅力がこの作品の良さであると考える。アニメとしての完成度の高さと感動は相関関係にあれど、必ずも比例するとは言えない。真に良いアニメとはその内容が、その人の人生に問いかけるものである。

忘れられない物語であった。

 

 

9.STEINS;GATE

構成★★★★★

構図★★★★

完成度★★★★★

面白さ★★★★

 

タイムリープもの最高峰のアニメ。

1期までの視聴であったが、これは非常に完成度が高い。序盤は主人公の支離滅裂な発言と展開の遅さから脱落しかけたが、後半にかけて徐々に盛り上がっていき、終盤の内容は重く辛いが、見進めたくなるものであった。

主人公の岡部は所謂中二病キャラで、度々意味不明なマッドサイエンティスト気取りな発言をする。それに苛立ちを覚えたが、のちにこれらの言動に意味があることがわかったり、1話の怒涛の伏線回収は素晴らしかった。タイムリープにおける主人公の想像を絶する苦悩と孤独。ただただ岡部は人を救うために繰り返すが、その結果は収束するという、あまりに非情な事実をたたきつけられる。その主人公の表情や見せ方が非常に絶望感溢れていて感情移入できるものであった。

タイムリープジャンル最高作品であった。

 

 

10.宇宙よりも遠い場所

構成★★★★

構図★★★★★

完成度★★★★★

面白さ★★★★

 

南極を目指す女子高校生たちの物語。

この作品の良いところは作画もさることながら、内容も非常に充実していることだ。主人公が特に該当するのだが、日々をなんとなく過ごし過ぎてゆく、そんな現状にどこか不満で、だけれども行動できない自分との葛藤、そして一歩踏み出していく勇気が大きな物語のテーマとなっている。南極はあくまでもその浸りきってしまった日常から脱却するための記号であり、それに踏み出すまでの描写が丁寧に描かれていて良かった。それから同年代4人で南極へ出発することになるが、そこから発生するイベントも丁寧に今の子供たちを描いていると感じた。

とても綺麗でちょっぴりリアルな学生の物語であった。

 

 

11.化物語

構成★★★★

構図★★★★★

完成度★★★★

面白さ★★

 

最後の作品はこれ。物語シリーズから、化物語

僕にとってこの作品はシャフトの印象が色濃く出ていると感じている。奇抜なアニメーションとカット、小説をそのままの意味でアニメ化する技法、それらをとても巧みにそして大胆に作り上げた作品であった。視点やカットに仕方など非常に勉強になると思いながら見ていた。例えば、言葉をコンマ数秒のカットインで挿入したり、鬼気迫る場面において顔のドアップ(ほぼ目)を映し出したり、それら大胆な見せ方は参考になった。

面白さが減点された理由として、人間関係の描き方がとても雑であったことだ。困ってる人を助けて好かれる。それの繰り返しが単調に続いていくと思うと、もはや物語として楽しく見れないと感じてしまったからだ。人が好きになったり、関わろうとするのはもっと複雑で簡単なものではないと私は考えているため、この人間関係の見せ方をざっくり主人公の人の良さで語りきってしまうのは、いささか悪印象だった。なのであえて言わせてもらうと、この作品は映像作品としてしか評価できない。

圧倒的大胆なアニメ技法を取り入れた映像作品であった。

 

 

 

ここまで非常にボリュームがあったが、何とか書き終えた。

名作と呼ばれる作品らを一気に読んだせいか、心がパンクしかけてしまった。しかし、一度このようにアウトプットすることで、少しは次への踏ん切りがつけられるというものだ。

一応この中でベスト3を選出しておくと、

1.コードギアス

2.Angel Beats!

3.シュタインズゲート

であろうか。やはり圧倒的展開とヒューマンドラマが好きで、細かい伏線回収や矛盾のないストーリーよりも、いかに人間を描いているかが重要だと感じる。その点がAngel Beats!が2位へ躍り出た理由で、コードギアスは全てにおいて完璧であった。

また日常ものはランキングに食い込まないが、見ているときは最も幸せを感じられると認識している。

 

以上をもって、2月上半期のアニメ振り返りを終える。

尚、いずれも個人の感想ゆえに、あまり気に留めないでほしい。

 

仕事を通して

数か月ぶりの更新だ。

最近は、自分の言葉で文字を書く習慣も減って、めっきり享受する側に回ってしまっている。そんな状況に漠然とした不安を募らせながらも、何もすることなく時間だけが経ってしまった。

そんな状況下で何故唐突にこうしてブログを綴ろうと思ったかというと、ヘッドホンを忘れたからである。それでは通勤時間の楽しみであったアニメ鑑賞が出来ず、残る択は読書のみ。しかし今日は新しいことを一気に詰め込みすぎて、文字が右から左へと流れてしまうために、断念せざるを得なかった。そんなこんなでブログを綴っているわけだ。

 

 

今回の内容は仕事について。

 

去年の春から、ある設計事務所に通い詰めている。そこはスタッフが今現在ではおらず、所員はボス1人だ。とある縁からバイト(僕はバイトというと軽々しい印象がするので、長期インターンと自称している)をすることになり、今の今まで働き尽くしている。

事務所に来る他の人は全員知り合いだ。なんならほとんどが僕が呼んだからである。同級生から後輩まで、全員元からの知り合いだ。皆はおよそ週1から2で通っており、ぷつりと来なくなるやつもいた。そこで僕だけが最近では週5で通っている。平日の5連勤で事務所が週にやってる最大日数だ。

ここまでくると、所員もいないことから、僕はもはやスタッフと化している。自分で言うのも何だが、バイトレベルを越えたあらゆる業務をやってきた。実のところ、スタッフに求められている業務がなんなのかは知らないが。

今日、さらに新天地として詳細図面の作成を任された。といってもほとんどがボスが考え、僕が図面として手直ししたり、必要となる情報を集めたりしているというだけであるが。しかし、これがまた難しい。情報を集めるためには、まずどのような情報が必要と理解した上で、ネットや本の情報の海から探し出さなくてはならない。このただただ調べるということは、とてつもない労力を要する。まったく、言われてやってるレベルでここまで過酷ならば、自主的に思考してやらねばならない場合、一体どれほどの労力を要するのだろうか。考えるだけども恐ろしくなった。

 

5連勤を何回かこなしてみて、やはり仕事には相当の体力が必要であると感じた。そこにかける情熱が続かなければやってられないだろう。建築はメンタルが大事とボスご話していたことがあったが、まさに精神力が問われると身で感じた。

自分は割りと苦しいことでも好きならば延々と続けられる人間であるため、この手の長距離のレースは得意だと自負している。

しかし、それとは裏腹に不安も感じている節もある。それはこのままずっと事務所に通い詰めることがいいのかという不安だ。冷静に考えれば、こんな貴重な経験が出来る場を逃す理由はない。しかし将来に対する不安というものは消えることはないのだ。

 

不安に感じている理由は現状の自分に対する憤りであると思っている。自分は特段にコミュニケーション能力があるわけでも、柔軟な思考からくり出される突飛なアイデアをもっている人間ではない。地に足ついたまではいかないとしても、思考は客観的な理論の方が先行している。そして何よりも圧倒的な経験不足。建築やら人やら、何となく自分は自分の層の薄さを感じている。。。まったく、我ながら卑屈なことばかり口走ってしまう笑

振り返ってみて、漠然と駆られた不安は生きていく上で当然のものだ。アイデアだの経験不足だの考えてみれば時間が解決してくれることも多く、純粋に僕は己の未熟さに弱気になっているだけなのだろう。

 

仕事を続けてみて、改めて変えていかなくてはならないことと、続けていく根気を持つことの重要性を感じている。今日感じた不安は数年後においては些細なものとして見ているかもしれない。だからこそここに記しておく。

自分の限界を振り替える

最近、事務所でこっぴどく空回りしてしまう後輩や同期らと仕事をしていて、内に秘める想いが肥大化してきている。

『人の振り見て我が振り直せ』

周りの人の言動を観察してしまう癖がある僕は自然と、人の行動を自らに投影して学ぼうとしてしまうのだ。つまり、後輩や同期が注意されているのを横に聞いて、じゃあ自分はこうしないようにしようと、冷静に客観的に分析して自分の経験として活かす。それを無意識にやっているせいか、自分はとても要領よく立ち回れている。それを自覚しながら生きているという、メタ的視点にメタ的な視点を重ねた、超メタ的視点によって自分を認識している。カッコつけた言葉によって自分を語ってしまったが、僕はそうやって絶え間なく自分や他者を分析しているようなのだ。何故、ここまでメタ的な視点を獲得するに至ったかは謎である。そして、特に最近感じる、自分のキャパシティについて。この器は僕にとってのコンプレックスだ。自分がどこまでの器なのかを知るために、過去の自分の器を理解しようと思う。なので、この事務所帰りの電車内の時間を活かして、改めて過去を振り返りながら分析をしようと思う。

 

小~中学生

当時はとにかくゲームにハマっていた。といっても高校もそうであるが。ゲームに関しては何時間も何十時間も没頭できた。受動的なシステムよりも、多少能動的なシステムによって成果を得ることぎとてつもない快感であった。特にうごくメモ帳というアプリは僕を魅力した。うごくメモ帳ではオンラインユーザーが作品を投稿できるプラットホームであり、作品を共有しあったり、コミュニケーションをとったりと、現実世界のコミュニティとは解離したその世界に密かに魅力されていた。かといって、現実世界のコミュニティを捨てなかった僕は、恵まれた環境に育ったからであろう。

そのうごくメモ帳での経験は非常に今へつながる。クリエイティブさと斬新さがウケにつながるために、必死に物語を構成したり、絵を極めたり、とにかく本気になって創作物に臨むという経験を積めた。しかしながらランキング上位に乗れたのは数回であり、それは残酷ながらも僕の限界を示している。そこそこまではいけるという反面、最上位にたどり着けない。どこか最後に引いてしまう。それは陸上で露骨に現れる。

中学生で始めた陸上競技。最初は短距離をやろうとしていた。何故陸上をやろうと思ったのか。深い理由はなかった。あるとすれば、走るのは嫌いではないこと。なんか寡黙で真剣で格好いいスポーツであること。そして長距離に入るきっかけになった、小学生におけるマラソン大会の思い出だ。これが僕の人生を大きく変えてしまうとは想像も出来なかった。

中学での陸上はとにかく惨めだった。元より精神のあまり強くない僕は長い距離を走るのはいいものの、追い込むという概念を持ち合わせていなかった。すぐ限界手前でセーブしてしまう。何故ならば辛いから。辛いことから逃げてしまう。逃げたくなくても、辛くなったらもう脳も体も追い付かない。後輩にタイムで負けに負けた。先輩の尊厳は傷つけられ、ちっぽけなプライドは生意気な後輩の態度を見る度に揺れ動いた。そう、僕はそんな後輩にいじられるようなちっぽけな人間なのだ。そういう自尊心が傷つけられる体験はこの先の人生へ影を落とす。

 

高校時代

高校受験の失敗。これはあまりにも残酷に、冷たく僕に限界を突きつけた。初めてリビングで家族の前にして泣いた。その時はもう学ランを着ることが出来なくなったことを理解したとたん、今までの楽しかった生活が崩れたように思え、感情が爆発した。為す統べなく僕は落ちて高校に入学する。それは暗黒時代の幕開けであった。

今まで僕はなんやかんや物事を人並み以上にはこなせると思い込んでいた。それを打ち砕かれた精神状態での学校生活は当然ながら楽しくない。しかも皆がそんな状態であるゆえに、特にクラスの雰囲気はあまり良くなかった。現実逃避するように明るく振る舞ってみたりする者の痛々しさ、絶望し、充実した高校生活を諦める者の惨めさ、それらを互いに理解し合えてしまうことで、僕らの距離は絶妙に縮まらなかった。仲良くもない状態でお互いのコンプレックスを知ってしまっている状況であった。

そして最も転機となった陸上時代。これを語るにはあまりに時間が少ない。結論から言うと、この高校時代の陸上こそ己の限界との戦いであり、それに敗れたという屈辱的な体験であった。僕は一生この経験に対して雪辱感を果たせないとも思えている。

陸上に僕は全てをかけた。人生をかけた。青春を捨てた。しかし、得られた成果はそれにそぐわなかった。その残酷さを突きつけられた。

陸上で必要な素質というものは絶対的にある。遺伝的な身体つきや精神状態。僕は死ぬほど努力したつもりであったが、それは空回りした。努力するフィールドを間違えたという話ではない。あの結果は明らかに僕自身の最高限度の成果ではなく、60%程度のものであったことに僕は雪辱感を抱いていた。頑張りきれなかったのだ。死ぬ気でやったはずが、どこか無意識に自分の手のひらから掴みかけていたものが滑り落ちていて、それを実は理解していた。めむりこみ切れなかった自分を理解していた。理解しながらも、僕の精神がそれに及ぼなかった。ある意味の僕の限界だった。その最大限の限界に及ばなかったという時点における限界。僕はこのコンプレックスを抱えなくてはならなくなった。それは一度頂点を目指そうとしてしまった代償である。

 

受験時代と大学1,2年時代もあるが、今回は省略する。それはあまりにも高校時代が全てを物語っていて、これ以上語る必要性がないからである。

僕の限界は僕自身あの高校時代と大して変わっていないと思う。結局最後の最後で詰めきれない自分。そしてそれを死ぬ気で変えたい自分。そのためなら人生そのものを全てかけてもいいと思える思考。

今僕はその狭間で戦っている。結局高校時代のように妥協で終わってしまうか、それともその先にいけるのか。その戦いの最中にいることに、一人恐怖しながらも感じるのは、どうしてもその先にいきたいということだけである。それを今、建築で僕は試されている。あまり健全なモチベーションではないかもしれないが、事実はそれだ。

数年後振り返ったとき、この大学生時代の限界が、改めて変わりきれないという妥協で終えているか、それとも確実に限界に挑戦出来たという確固たる自信によって終えているか。今僕はその分岐点で足を震わせながら立っているのだ。

原動力は

今は設計事務所のバイトの四連勤を終えた、帰りの電車内である。
流石に疲労が蓄積し、頭が上手く働かない。ふわふわと思考が発散し、映画も動画も本にも集中出来ないので、文字を書こうと考えた。

最近、TwitterInstagramをやらなくなってしまって、文字情報に起こしてアウトプットすることを久しくしていなかった。そうしてTwitterをやらなくなったことで、アウトプット量は落ちたが、無駄な情報を取り入れずに済むという点において、非常にメンタルが安定する。
欲しい情報源は基本的に自分で調べるか、事務所の中で発見していくため、Twitterという受動的な情報源を必要としなくなったのは大きい。

ぼんやりとした頭で考えるのは建築の仕事について。事務所のボスは僕がこうして駄文を書いている間にも、建築について思考しているだろう。その原動力が何なのかは僕と共通しているようであるが、遥かに巨大で及ばないものであると直感的に感じる。
僕の建築への原動力は見たことない建築に対する感動だ。思わぬところから、新しい発見をし、新しい風を巻き起こすような力を持った思想が内包されたものであると尚良い。あくまで建築をそういう評価軸で見ている。自分の家を建てたいとか、いい住宅を作りたいというものではないだろう。
でも原動力はそれだけではないのだと感じる。本当に疲弊し、嫌になっているときというのは、それすらも忘却し、ただしがみつくだけになる。そのときの原動力はもっと過去の文脈によるものである。
それはやはり陸上競技時代にあるように思える。要は人生において最も辛かった時期の経験が源となっているということだ。
陸上をやっていたときは日々が地獄のようであり、心身ともに磨り減っていた。張りつめた緊張感のあるフィールドでは、ただただ己との戦いであり、惰性による練習は意味はなく、思考の連続であった。当時において、残念ながらその思考の連続は、無駄なことへの思考へ転換されてしまい、結果に悪影響をもたらすものとして終わってしまった。しかし、陸上というフィールドを離れ、その癖は輝いた。思考の連続はものの解像度をより高め、より思考を高次元なレベルへ高めるサイクルを形成する。それは今の建築への思考に非常に直結している。
当時は基本的にネガティブな思考が多かったが、ここ最近の小説の読み込みのおかげか、安定したメンタルの下、集中して建築に専念出来るようになった。
今も思考を止めて投げ出しそうになることもあるが、やはり陸上をやっていたときの、逃げ場がなく思考し続けなければならない経験が今を支えてくれるのだ。

今も陸上での経験を思い出すと、苦虫を噛むような悔しさに駆られ、感傷的になってしまう。同時にその経験の重大さを知覚する。なまっちょろい言葉を使いたくないが『あの時があったから、今がある』というやつだ。

原動力である陸上から受験勉強、そして建築と思考は連続しながら繋がっている。この先がどう繋がっていくかは僕も予測出来ないが、どのみちかなり辛い道を選びながらも、必死に何かにしがみついているのだろう。

20210206 大学生2年振り返り

2021/02/06 深夜2:33

完全に昼夜逆転してしまった身体を動員させこのブログを書く。

 

ここで文字を打つのは非常に久しぶりだ。

流石にネットの海の藻屑と化して、誰の目にも止まってないと思いアクセス分析を覗くと、意外にもちょこちょこ見てくれる人がいた。忘れられたと思い込んでいた故に、嬉しい限りである。

 

そしてここで文字を入力する中で様々な感情が思い浮かぶ。

なんと自由なんだろう。

最近ではTwitterでしかSNS発信をしないために、100文字程度しか機能上書けない。なので、言葉を選定し、制限までにまとめないといけない。しかしながら、ブログはほぼ無限大に文字を書けるために、自由に言葉を選び、思うがままに書き記していくことが出来る。

 

本日は自由に最近思ったことを書く。非常に長い文章になると思うが、是非見てる方にはお付き合いしていただきたい。

 

 

 

1.最近の読書について

 

1月2日あたりにブックオフのセールがあり、小説を大量に購入した。その中で読んだものの感想をここでも記しておこう。

 

『優しい死神の飼い方』

最初このタイトルを耳にしたとき、どんなグロテスクな描写が待ってるのかと心構えた。それもそうで、死神という不吉な言葉が含まれているからだ。

しかし、読んでみると非常に心温まるストーリーだった。人間から死神と呼ばれる霊的存在の主人公。人間を卑下するような描写があるが、これも痛快で気持ちいい。そして人間に触れていくうちにだんだん心変わりしていく主人公…。

 

『ちいさなおうち』

これは絵本である。田舎の家視点から描かれた、都市への羨望、そして失墜。建築の在り方を考えさせられる。

 

『わたしが・棄てた・女』

これは非常に心を打った…。えぐられた。都内の平凡な大学生である男と田舎を家でしたミーハーな女。雑誌で女が書いた便りから連絡先を知った男は、女と会う約束をした。その時の男の心情はなんであったろうか。冴えない日常を過ごし、お金も女性もなく時が過ぎる。そんな日々からの脱却が感じられる。デート当日の女はみすぼらしく、幼稚に描かれる。勉強不足で知能が低い人間。そう男にも読者にも写る。そして、デート終盤にて男と女は交わることになる。その後、男は女との連絡を絶つ。男は取るに足らない事柄であると思い込むようにしたが、このことを男は忘れられなくなるのだ。

そして中盤から女に焦点があてられる。みすぼらしく、ミーハーな何も考えてないような女は実は深い傷を負っていて、そのことは確実に女の人生を狂わすのだ。それが非常に痛ましかった。一筋の希望を胸に生きる女。しかし、男はそれを見向きもしない。そんな対比が非常に観ていて心痛める。

そして女に待ち受ける悲惨な運命。ここまでくるともう女にしか感情輸入していないのだ。そうして物語が進み、希望の糸が垂れ生きる希望を再度見出す。あれだけみすぼらしく思えた女はもはや聖母のように思えてくる。しかし最後に待ち受ける残酷な運命。

読者は思うのだ。「ああ、なぜこんな人がこんなひどい目に合わなくてはいけないのか」と。この世の不条理さや後悔、恋愛、失望、希望が入り混じったストーリー。初めての遠藤周作の本を読んだが、彼は紛れもない天才だ。

 

 

『カラフル』

自殺した中学生の魂に一時的に転生する、ある罪人の物語。これは非常に心温まる物語であった。一度死んでいる。そう思ったらわりと人生何とかなると思えるのは不思議だ。

 

 

ぼくは明日、昨日のきみとデートする

いやあ、これは色々と辛かった。物語の大筋は知っていた。けれど改めてみて辛い。

辛いポイント1:ごりごりの恋愛小説

辛いポイント2:物語の構図

辛いポイント3:そうして現実に戻った時の虚無感

ごりごりの恋愛小説はこういったダメージが残るので敬遠していたが、案の定ダメージが残った。なんか「つれぇ…」という感想しか出ないわけですよ笑

小説で満足したので映画は観ないつもりです。バックナンバーは聴きます。

 

 

言の葉の庭

登場人物がとても掘り下げられていてよかった半面、映画は観てないせいか、わりとその掘り下げがどうでもよく思えてしまった。多分映画見てたら、部分の答え合わせになってたりして、興奮できたのだろうが、さすがに理不尽な体育教師や女子生徒には共感しえなかった。まあ当然かもしれないが。

しかし、主人公とヒロインの女性の心理描写が小説ならではのタッチで描かれていて、とても情景が浮かび良かった。

映画を観たい。

 

 

砂の女

これもかなりの力作であった…。最近Twitterにて感想を描き切ってしまったので省略させてもらう。

安部公房恐るべし執筆力。

 

 

 

 

小説はこんなもんだろうか。建築本含めるとまだすこしあるが。

こうやって列挙してみると案外多い。友人から、「いつそんなに本読んでるの?」とか「そんなに本読めるの羨ましい」などの声を貰うが、深夜に睡眠を忘れてハマっているだけだ。歴代の人間が繰り返した魅力が本にはある。浅い歴史のYouTubeやネットではいまだ到達していない領域が読書だ。とりあえず本を開いてみる。学生のうちは読書に浸ろうと思う。

 

 

2.  大学2年振り返り

 

ついに春休みに入って休みを謳歌している。この2年生は色々あった。まあ大体の人は”コロナ”という忌々しいワードが浮かび、自分のこの1年の負を全て押し付けようとする輩もいるであろう。僕はそうは思はない。この1年はえらく充実しており、価値があるものであった。

機会損失しているのは確かに頷ける。「遊べなかった」「海外いけなかった」「外に出れず様々な体験を失った」これらは当然僕も思う。「もしコロナがなければな~」と口を苦くすることも何度もあった。しかし、外出による機会損失はあっても、家の中に居ることの機会獲得があった。

 

一番は読書。そして自由時間が増えたことによる自己投資時間の増大。そしてどうでもいい人間関係の終焉だ。

1番目は言うまでもなく重要だ。2年最初の設計課題で折れた心を回復するように、僕は本にしがみついた。今になってはそれが糧となり、僕の精神的支柱となっている。なぜ子供のころから読書していなかったか甚だ疑問である。

2番目は人間関係がオンラインによって築けることで、様々な人と気軽に関係を結びやすくなったことだ。建築関連の友人が全国に拡大したのは非常に大きい。

3番目は僕らしい回答だ。これによって無駄な時間や無駄にイラつく時間は減り、やりたいことだけに集中できる環境を得た。まあ同時にコミュニケーション能力が落ちたわけだが笑

 

こうして僕はコロナ禍を自分なりに充実して過ごした。機会損失で嘆いてる人は、もともと遊びで大学に入学した”まっとう”な人間か、自分の行動力のなさを責任転嫁する残念な人間か、本当にコロナで打撃を受けてしまった可哀そうな人間であろう。まあ大体最初の2つに分類されそうなものであるが、これ以上の無意味な批判はやめておこう。

 

大学二年であと語るとすれば、設計課題でようやく最優秀作に選ばれたことであろうか。

これは嬉しかった。正直嬉しすぎて言葉が出なかった。

僕は1年生の初期から建築を熱心に勉強し、取り組んできたが、設計で大きく評価されることは1度もなかった。それは勿論学校の評価基準に乗っとったものであるが、それでもやはり選ばれたらそれでモチベーションにはなる。

初めの挫折は1年の課題。第2課題はリサーチで最優秀作に選定されたが、やはり設計で勝利を勝ち取りたかった。しかし、現実は非常なり。今でもあの作品は力作で誰にも負けてないと思ってる。そして2年の前期の課題。これもめちゃめちゃやりこんで、班での選定は余裕と思い込んでいた。しかし、かすりもしなかった。これには教師を恨んだ。そして設計と学校に絶望し、建築が嫌になった。「あんだけ頑張ったのに、あんな作品がノミネートかよ…」やりようのない怒りがこみ上げる。そして夏休みの序盤は建築以外のことを探求していた。そうして2年の苦節の末にこんな一般的、むしろ劣っている人間が後期の第一課題で最優秀作を取れた。

勿論最優秀作であるゆえに最も良いというわけではなく、これからも作品と向き合い精進していかなくてはならない。…という文章を書いてはいるが、なんとも古臭い言葉選びだと嘆いてみる笑

こうして2年は充実した人生を送れたので、3年はますます頑張ろうと心に思った。

 

 

 

3.大切な仲間

建築学生において仲間はとても重要だ。仲間とは同年代の子だけでなく、先輩後輩を含むと僕は考えている。ともに切磋琢磨しあう仲間がいるだけで頑張れる。そういう話を軸に進めていきたい。

 

1年生のころから建築狂な僕はさすがに大学の同年代の子から知られている存在であった。まあ”建築めっちゃやってるやばいやつ”といったところか。こうなった経緯は今まで書いた記事にすべて載っているので見て欲しい。まあ要は、元の没頭できる性格とある種の失敗を重ねているからだ。

話を戻すと、2年のこの時期になると皆建築を頑張り始めるので、すでに頑張っていた僕は認知されていたし、話すとすごく気が合う。そりゃ頑張っている方向が同じだからだ。そうして大学内外に多くの仲間が出来ていた。これが僕のもつ性格や失敗以上に重要な要因なのだ。そういう友達や目指す人、目指される人になることで、建築に向き合える。めんどくさいことも本気で取り組める。一人じゃ無理なのだ。僕は実は誰かに見てもらいたくて、認められて欲しくて、一緒に何かをやりたいのだ。

 

こうして日々鍛錬を積むように建築を学んでいたり、ものごとについて深く考えていると、やはり周りからは違う存在に見えてしまうようなのだ。遠い上の存在のように思われることが多くなってくる。でも僕自身は全然そうは思ってなくて、今の自分はそうい人や、僕以上と思える人間がいるから成立しているのだ。

もし僕が一定の才を得ているのならば、それは何かに没頭できる精神力のみであろう。あとは環境が僕を押し上げた。

 

 

 

4.自分について

ふと自分について、過去の自分と対峙して考える。子供のころはゲームばかりしていたが、本当にゲームが好きなのだろうか。その問いに対する答えは、実は「yesと言い切れない」ということだったのだ。

当時僕はゲームに何を期待していたのか。魅力的なゲームのキャラクターを収集する没頭する時間。なにかに熱中しているその状態とそれを共有することが愛おしかったのでないか。意味のなくただただモンスターを狩り続けることがあった。それをネットの友達に共有したり、しなかったり。ただただそうやって時間を浪費することも好きだったし、同じ仲間が出来るのも好きだった。しかし、ゲームをほとんどやめた今、特に不自由なく生きている。それはゲームが好きだっただけでなく、何か興味あることに没頭することが好きであるということを示唆していたのだった。陸上も勉強も読書もそうであった。孤独と向き合いそれに没頭する。正直、友達と遊びのために外に出るより、そうやって好きなことをやる方がよっぽど楽しいのだ。

過去、生きる意味について深く考えた。人生の全てが失敗に終わったように思えた18歳のあの時の僕には盲目すぎて見えていなかったことだろう。僕の生きる意味はそうして、何かに没頭していて、そこに人がいて、共有できていることでないだろうか。

 

 

 

 

 

深夜4:11

かれこれ1時間半以上もこれを執筆しているのか。文字数も4500文字を超えた。

今日はこの辺にしておこう。

 

 

 

 

TOIECをやらなければいけない季節が来た。

これはTOIECでなんとかして2週間後に700点取るための備忘録である。

 

目標700点

理由:700点を取り、英語の授業の単位を取ると同時に、院試に有利に立ち回るためである。

 

以降、それに対する現状の把握と対策を練る。

 

まず現状としては、TOIECの勉強は1年ぶりであり、英語力もだいぶ落ちた。思考力は上がっているので、その柔軟性を活かして臨まなければ高得点はおろか、前回の点数を超えるのも厳しいであろう。

400~500点程度の英語力をまず600点まで上げる必要がある。そして、700点までは傾向と対策をつかむことで乗り切りたいと考える。

 

まず第一の対策として、英単語である。基本的な単語もだいぶ忘れているので、金のフレーズを3周を目安に復習する。それは英語を始める前の5分や、設計休みの5分、電車内での10数分を活用して勉強を行うことにする。具体的な場所や環境によらずゴリゴリと進めよう。

 

第二の対策として、英文法だ。これはキクブンと問題集から学ぶ。キクブンは英単語感覚でさらっと復習する。これは記憶の浅い定着で間隔をあけて複数回繰り返す学習方法であり、覚えるのに適している。できるだけ音声も聞きたいが、それをやろうとすると億劫になってやらなくなるので、最初は音声なしでやる。そして調子に乗ってきたら音声を入れてやる。

 

第三の対策は、問題集研究。これを最も重視するべきだ。とにかく傾向をつかみ、問題に慣れていくことがTOEICでは重要であろう。そのため一度解いた問題も着手し、経験数を積んでいく。

 

今回700点乗るためにはかなり邪道で乗り切らないといけないことが確定しているので、ひたすらにTOEICの問題が出来ることだけを考える。英語は喋れなくてもどうでもいい。

これらを決行することでなんとか高得点を得ようと思う。